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東京地方裁判所 昭和30年(ワ)5101号 判決 1957年12月18日

原告 大塚芳治 外一名

被告 林兼造船株式会社

主文

被告は、原告大塚芳治に対し金八万五千円、原告品海自動車株式会社に対し金二十四万円及び右各金員に対する昭和三十年七月十七日以降完済に至るまで年五分の割合による金員の支払をせよ。

原告等のその余の請求はこれを棄却する。

訴訟費用はこれを五分し、その三を被告の負担としその余を原告等の負担とする。

この判決は、原告等勝訴の部分に限り、原告大塚芳治において金二万三千円、原告品海自動車株式会社において金六万円の担保を供するときは、それぞれ仮りに執行することができる。

事  実<省略>

理由

一、原告会社が、乗用自動車による陸上旅客運送を目的とする会社であること、原告大塚が運転手として原告会社に雇われ、乗用自動車の運転の業務に従事するものであること並びに被告会社が造船業を目的とする会社であることは、当事者間に争いがない。

二、昭和三十年二月一日午前八時過頃、本件交叉点において、原告大塚の操縦する原告会社所有の自動車ルノーと被告会社従業員菊池進の操縦する同会社所有の自動車ビユイツクとが衝突したことは、当事者間に争いがなく、本件事故当日事故現場を撮影した写真であること当事者間に争いのない甲第六号証の一ないし三、弁論の全趣旨により真正に成立したものと認められる同第一号証(うち公証部分の成立は当事者間に争がない。)、同第二号証、同第七号証、証人佐藤楔次の証言、及び原告大塚芳治本人尋問の結果を綜合すれば、「本件事故の結果、原告大塚は、顔面右眉から顎にかけた縫合七針に及ぶ裂傷、眼部の打撲による全治三ヶ月を要する眼部障害(角膜翳)のほか左骨下端骨折及び右坐骨々折を被り、本件事故当日の昭和三十年二月一日から同月二十六日まで墨田区石原町一丁目十八番地山田外科病院に、ついで同年五月末日まで足立区千住五丁目七十八番地名倉病院に、それぞれ入院して治療を受け、爾後同年七月中旬まで右名倉病院に、同年六月から約一ヶ月間同区千住二丁目六番地菅田眼科医院にそれぞれ通院して治療を受けたほか、同年八月末日まで田舎で休養したこと並びに本件事故の結果原告会社所有の自動車ルノーが大破したこと」を認めることができる。

三、よつて、次に本件事故発生について菊池に原告等主張のような過失があつたかどうかについて判断する。前掲甲第一号証、成立に争いのない甲第十二ないし第十五号証、証人菊池進(ただし後記措信し難い部分を除く。)、同佐藤節子の各証言及び原告大塚芳治本人尋問の結果並びに検証の結果を綜合すれば、

1  本件事故発生の現場は、墨田区横網町八番地先、本所郵便局の正面やや北寄りにあたり、都電柳島停留所方面と同月島通八丁目停留所方面とを結ぶ幅員約十六米の電車通りと一方国電両国駅他方錦糸町公園へ通ずる幅員約六米の道路とがほぼ直角に交叉する地点であつて、同所には信号設備もなく、また、右電車通り及びこれと交叉する道路はいずれもアスフアルトで舖装されており、右電車通りは都電石原町一丁目停留所から本件交叉点を通り同東両国緑町停留所に向う直線コースで、その南北の見透しは良好であつたこと。

2(一)  本件事故発生の昭和三十年二月一日朝、菊池は、被告会社所有の自動車ビユイツクの助手に知人佐藤節子を同乗させ、同車を操縦し、京橋を経て丸の内方面に向うべく右電車通りを時速約三十五粁で南進していたが、都電石原町一丁目停留所に至る以前に訴外太平洋海運株式会社従業員結城清三の操縦する同会社所有の自動車プリムスに追い越されたが、同車の運転者がかねて熟知の間柄の結城であることを知つて、ことさらに同車に近接し、それ以後本件交叉点に至るまで同車の斜右やや後方に接近したまま両車雁行の形でともに時速約三十二、三粁で南進したこと。

(二)  本件交叉点にさしかかるや菊池は、先行車の動静を確めもせず、また警笛吹鳴による合図をすることなく先行車を追い越そうとしたところ、突如結城操縦の自動車プリムスが右折し、菊池の操縦する自動車の進路に立ちふさがり、その前方視野を妨げる状態となつたため、菊池は、狼狽して急停車または最大徐行に移る等の措置をとることなく、漫然ハンドルを右に切り、都電軌道を越え反対側車道に乗り入れ、たまたま同車道を北進して来た乗用自動車(後刻原告大塚の操縦する自動車と判明。)を斜左前方約十四米の地点に発見したが、これを避けうる余裕なく、同車と激突したこと。

を認めることができる。証人菊池進の証言中右認定に反する部分は措信し難く、他に右認定を左右するに足る証拠はない。

ところで、およそ、自動車運転者たるものは、自動車を操縦して他の自動車の後方から同車に追従進行する場合には、絶えず先行車の動静に注意し、同車の運転の変化に応じて安全に自車を操縦できるよう速力の調節、両車の間隔等に留意すべく、先行車を追い越そうとする場合は、警笛吹鳴による合図をなし、先行車をして追越し進行の事実を認識させ、その反応を待ち、危険の生ずるおそれのないことを確認したうえ、はじめて追越しを開始すべく、追越し中は、とくに制動及びハンドル操作を確実にして事故の発生を未然に防止すべき注意義務があるものというべきところ、前記認定のように、菊池は、先行車たる結城の操縦する自動車の斜右後方に近接し、同車と殆ど同一の時速約三十二、二粁で追従進行したのみならず、本件交叉点にさしかかるや、同車の動静を確めもせず、また警笛吹鳴による合図をすることもなく、漫然同車を追い越そうとしたため、同車の右折により自車の進路及び前方視野を妨げられ、前方から進行し来たることのある自動車等との衝突を回避すべき適宜の措置をとりえず本件事故をひき起したものであるから、本件事故の発生について菊池に過失の責あることは明らかである。

以上のように、本件事故は、菊池の過失に基因するものであるが、他面原告大塚の過失もまた本件事故の発生について一斑の原因をなすものと当裁判所は認めるので、以下にその理由を示す。前掲各証拠を綜合すれば、「本件事故発生の当日朝原告大塚は、訴外飯野治助を原告会社所有の自動車ルノーに乗せ、同車を操縦して東武鉄道浅草駅に向うべく、前記電車通りを都電東両国緑町停留所方面から同石原町一丁目停留所方面に向い、都電墨田区役所前停留所脇を通過して都電軌道の左側に沿い時速約四十粁で北進し、本件交叉点にさしかかつたのである(以上の事実は当事者間に争いがない。)が、前方の見透しに特段の妨げとなるものもない右交叉点を通過するについて、前方を注視しておれば、前記停留所北端を通過後直ちに本件交叉点に結城の操縦する自動車プリムスが右交叉点を横切るもののごとく進路を西方に転じていたのを認識しえたにもかかわらずこれに気付かず、そのため、一時停車または最大徐行に移る等の措置をとることもなく、従前のままの速度で進行したため、本所郵便局前において斜右前方約十米の距離に至つて始めて右交叉点において自車の進路上を右折しようとしている乗用自動車らしい黒影(後刻菊池の操縦する自動車と判明。)を発見したが、これを避ける余裕なく、同車に激突したこと」を認めることができる。しかして、およそ、自動車運転者たるものは、運転中は絶えず前方を注視し、自車の進路上に現われる自動車等を速やかに発見し、それらの動静に応じて自車の速度、方向等を加減し、危険の発生を未然に防止すべき注意義務あることは勿論、信号設備のない十字路、交叉点を通過するにあたつては、反対方向から進行して来る自動車等が自車の前方において方向を転じ、自車の進路を横断することがないかどうかに十分注意を払らい、かような自動車等があつた場合はいつでもこれを避けられる程度に自車の方向、速度を加減し、事態の緩急に応じ、急停車または最大徐行に移る等の適宜の措置を講じ、衝突または接触等の事故の発生を未然に防止すべき注意があるものというべきところ、前記認定のように、右大塚は、前方注視の義務を十分に尽さなかつたため、約十米という至近距離に至るまで本件交叉点を右折しようとしていた乗用自動車(菊池の操縦する自動車)を発見しえなかつたのみならず、本件交叉点を通過するにあたり、何ら自車の速度、方向等を加減することなく、漫然時速約四十粁の高速度で進行したため、右発見後も適宜の措置をとりえず、本件事故を惹起したものであるから、本件事故の発生については大塚にも過失があるものというべきである。

五、しかして、菊池が本件事故当時運転手として被告会社に雇われ、運転の業務に従事していたものであることは当事者間に争いがなく、証人菊池進の証言によれば、菊池の被告会社における勤務時間は当時午前九時三十分から午後五時までであつて、本件事故は菊池の出勤途上において発生したものであることが認められるけれども、自動車運転の場合は、運転ということ自体が事業の執行であつて、出勤途上の運転といえども運転には変りはなく、事業の執行というに妨げない。従つて被告会社は、菊池の使用者として本件事故によつて原告等の被つた損害を賠償すべき義務がある。

六、よつて、次に原告等の損害及びその数額について判断する。

1  原告大塚の分について。

原告大塚は、本件事故により前示負傷を被り事故当日から前記のような加療等を要したことは前記認定のとおりである。

(一)  原告大塚は、山田外科病院に入院中の附添看護婦料を請求するが、原告大塚がその主張のような金額を支出したものと認められる証拠はないから、これに関し原告大塚の損害を認めることはできない。

(二)  次に、名倉病院への通院の際支出したタクシー料金の点について、原告大塚が昭和三十年五月末日まで名倉病院に入院し、退院後も同年七月中旬まで通院したことは前記認定のとおりであるから、同原告は、同年六月一日から同年七月十五日までは通院したものと解される。しかして、原告大塚芳治本人尋問の結果に弁論の全趣旨を綜合すれば、同原告は、右通院にあたり、同期間を通じ、東武鉄道北千住駅から右病院まで往復タクシーを用いたこと及び右タクシー料金は、一往復金百四十円であつたことが認められ、同原告は、右通院のための交通費として四十五往復合計金六千三百円を支出したことになり、本件のような治療のための通院の往復にタクシーを用いることは相当であると考えられるから、右金六千三百円は本件事故のため同原告の被つた損害額と判断する。

(三)  弁論の全趣旨により真正に成立したものと認められる甲第五号証、原告大塚芳治本人尋問の結果によれば、原告大塚は、本件事故当時タクシー運転手として一ヶ月金二万円の収入があつたこと及び原告は、本件事故による負傷のため、昭和三十年二月一日から同年八月末日までタクシー運転をなしえず、運転手としての収入がえられなかつたことが認められるから、原告大塚は、同期間中合計金十四万円のうべかりし利益を喪失し、同額の損害を被つたものと判断する。

2  原告会社の分について。

原告会社所有の自動車ルノーが本件事故により大破したことは前記認定のとおりである。しかして、弁論の全趣旨により真正に成立したものと認められる甲第八号証、証人佐藤楔次の証言を綜合すれば、右自動車は、昭和二十九年七月に金七十三万円で購入したものであるが、本件事故当時の価格は金四十五万であつたこと及び原告会社は、本件事故のため大破した右自動車を金五万円で他に売却したことが認められるから、原告会社の損害額は金四十万円となる。

以上のとおりであるが、本件事故の発生については、大塚の過失もまた一端の因をなしていること前記認定のとおりであるから、被告の原告等に対する損害賠償の額を算定するについて、右の事実を斟酌すべく、原告大塚に対する賠償額は金八万五千円、原告会社に対する賠償額は金二十四万円を相当と認める。

七、しからば、原告等の本訴請求中、原告等が被告に対し各右認定の賠償額及びこれに対する右各損害賠償請求権発生の日以後である昭和三十年七月十七日以降完済に至るまで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払を求める部分は正当として認容すべきも、その余の部分は失当として棄却を免れない。よつて、訴訟費用の負担について民事訴訟法第九十二条、第九十三条、仮執行の宣言について同法第百九十六条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 磯崎良誉 市川郁雄 立原彦昭)

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